令和七年五月二十日、沖縄県北中城村 楽邦寺にて第二世 宮城親誠上人を導師に、第二次世界大戦終戦八十年慰霊法要が厳修されました。
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元来、沖縄は檀家という制度に馴染みのない土地といわれますが、当日は本堂の外にまで椅子を並べても足りないほど多くの方にお参りいただきました。法要後は知恩院布教師会前会長 勝部正雄上人によるご法話をいただき、この仏縁、法然上人のお念仏のみ教えとのご縁をより深く、強く結んでいただきました。
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場所を島袋自治会館に移し、改めて終戦八十年追悼・平和誓願法要、ならびに三州教区 檀信徒のつどいが開かれました。体育館ほどの広さの会場も、楽邦寺と同じくほとんどの席が埋まるほどたくさんお集まりいただき、参加者の皆さんは勝部上人のご法話に一心に耳を傾けられ、時には深く頷かれておりました。
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その後も世舞琉二代目家元 佐辺良和氏による琉球舞踊、沖縄で活動されている歌手 海勢頭豊氏によるライブと続きましたが、いずれも遥か昔より継承されてきたものを次の時代へ発展させ繋いでゆく、という思いは私達にも通じるものを感じる内容でありました。
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また沖縄の魅力と戦争の悲惨さを舞い・歌い、この土地の歴史と想いを次世代へと伝えることも平和へと至る道の一つであることを思いました。
最後に今年公開されます映画『木の上の軍隊』の監督・脚本を手掛けられた平一紘氏にご挨拶をいただきましたが、その中の「私は沖縄出身ですが戦争を知らない世代です。そんな私だからこそ、この映画を撮りたいと思い、一から調べました」という言葉が胸に残りました。
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戦争を知らない世代が過半数を迎える現代は平和と戦乱の分水嶺に立っているのかもしれません。
私の祖母は広島で被曝し、私自身もいわゆる被曝三世ではありますが、しかし戦争という行為と影響について、正面から向き合ったことがありませんでした。
話は前後しますが、楽邦寺での法要後、宮城親照上人を先頭に数名の浄青会員と共に自治会館までの道にある慰霊碑を巡る念仏行脚をいたしました。
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まだ五月ながら想像以上の暑さで、行脚後に体調を崩す程でしたが、戦時中の沖縄ではこの様な暑さの中で戦い、逃げ惑い、あるいは巻き込まれて命を落とされた大勢の方がおられたこと、慰霊碑に刻まれているお名前、その一人一人に家族や人生があり、それも戦争が無ければ続いていたはずであると思うと、戦後八十年の節目を迎える今こそ、平和について深く考えねばと思います。
お念仏と共に、戦争で犠牲となった全てのご精霊が安楽で過ごされますよう願います。
三州教区 宮崎組 常照寺 飛永一穂
