私たちは日常勤行で「天下和順 日月清明 風雨以時 災厲不起 國豊民安 兵戊無用 崇德興仁 務修禮譲」を称えています。沖縄は昔琉球王国時代首里城の入口に掲げる「守礼の邦」ように礼節を国是として栄えていました。
1816年9月14日から10月17日の間、琉球に滞在したイギリスの測量調査船「ライアラ号」艦長バジルホールの「大琉球航海記」に本国に帰る途中、セイント・ヘレナ島のナポレオン皇帝に逢って丨東洋に琉球王国という国があ り、戦争の為の武器は一切なく、戦争をした事がないばかりか、外敵も内敵も知らず、国は栄え国民の活も豊かで平和に暮らしている」との、記述があります。当に國豊民安 (国は豊かで、民は安心して暮らし)、兵戊無用(兵隊や兵器も要らず)が実践されている国でした。
それが今次太平洋戦争を境に沖縄は苦難の島となりまし た、住民を巻き込んだ地上戦が1945年4月から6月までの3ヶ月で、戦争犠牲者が「平和の礎」によると、242,225名。その内沖縄県民は149.658名で戦没者の半数が沖縄県民で県民の4人に一人が犠牲者なのです。
2025年4月19日「沖縄タイムス」の伊江戦没者20人 発見のニュースから。
伊江村で昨年8月から9月にかけて、沖縄戦で亡くなったとみられる約20人分の遺骨が見つかっていたことが村などへの取材で分かった。
戦中戰後の伊江島での実話を基にした映画「木の上の軍隊」の制作中に見つかった。水筒、統弾なども一緒に埋まって。県によると、村内で遺骨が見つかるのは2003年度以来だという。
戦後80年、伊江村で遺骨がまだ発見されています。こような悲しい島にあらたに辺野古に軍事基地を建設しています。もう一度立ち戻り琉球國が実現した「天下和順」世界に平和を、「兵戌無用」武器のない世界を、「務修禮譲」どの国 とも礼節を守り、笑顔で世界平和を築いていくのが努めなのではないでしょうか。
楽邦寺 宮城親照

