三州教区は宮崎県17ヵ寺、鹿児島県16ヵ寺、沖縄県9ヵ寺の三県42ヵ寺にて活動をしています。隣県の熊本教区88ヵ寺、大分教区57ヵ寺など他教区と違い複数県なので広範囲、しかし少数寺院の教区です。
教化団だより「さんしゅう」第1号より
この度、三州教区教化団より、教化活動の一環として「教化団だより『さんしゅう』」を発行することとなり、第1号として「教化団誌『さんしゅう』に因む法話を‼」との依頼を受けました。
『さんしゅう』は「三州教区」の「三州」と「みんなで「参集」して活動していこう‼」という意味合いを兼ねて、敢えてひらがなで『さんしゅう』と誌名にしたのですが、この三州教区のことについて調べてみたら、意外と知らないことが多々ありましたので、今回は三州教区の歴史、成り立ちについて書かせていただきます。
三州教区の歴史
三州教区という教区名が使われはじめたのは、意外と遅い昭和51年からです。その当時三州教区は、宮崎県と鹿児島県で、旧日向國・薩摩國・大隅國の三つの國(州)から成り立っていることから「三州教区」と名付けられた様です。宮崎組・鹿児島組の2組でした。
沖縄県(沖縄組)が三州教区で共に活動しはじめたのは、平成12年4月からで、現在は宮崎組17ヶ寺・鹿児島組16ヶ寺・沖縄組9ヶ寺、計42ヶ寺のお寺様が加入して活動されております。
三州教区の前身は、今から約百二十年前の明治35年に「日豊教区」からはじまりました。その後大正13年に「豊豫教区」→昭和13年に「日豊教区」→昭和19年に「西海教区」(この時宮崎組・鹿児島組・沖縄組でした)→昭和22年に「宮崎・鹿児島教区」→昭和34年に再び「西海教区」→昭和36年に「西海教区」「宮崎教区」「鹿児島教区」となり、数々の変遷を経て、昭和51年に「三州教区」が使われはじめた様です。この時沖縄の袋中寺様は、浄土宗宗務庁直轄の沖縄特別寺院として登録されています。その後平成4年に三州教区直轄寺院となりました。
浄土宗宗務庁総務部資料より
この様に今まで、数多くの変遷を経て「三州教区」が誕生し、現在に至っております。日本全国どこも、寺院を取り巻く環境厳しいものがありますが、お互いに手を携えて、共に「さんしゅう」して、精進してまいりましょう。

